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成績集成 1959年 昭和34年 |
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成績集成 1958年 昭和33年 |
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優勝者への金バッジ贈呈始まる。 |
成績集成 1957年 昭和32年 |
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叶 九隻 都釣連主導の横綱会から「横綱」に推挙される。 叶 一 将監川で尺3寸8分の大型を釣る。 |
成績集成 1956年 昭和31年 |
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佐原神崎向地にて土肥伸杯争奪個人大会開催。 総員120人中、戸田 粂雄 7位、増田 逸魚 8位。 |
第七回 日研団体トーナメント優勝。 浅草 C組。 杉本 敬次朗、須藤 健作、金久保 光魚、竹内、三島 一剛。 優勝候補の浅草 B組(青山、戸田、星野、本田、鈴木)は、天災に見舞われ、準決勝で敗退。 同支部同士の対戦が実現しなかった。 |
成績集成 1955年 昭和30年度 |
残念ながら昭和30年は資料が現存せず成績は不明。 水堰橋運河にて銀座の釣具店ポイントに集うメンバーで対抗戦を開催。 ポイント側は、全員赤帽を着用。 ポイント側(山村 聰、米地 南嶺、増田 逸魚、他3名、銀座へら鮒会の前身) 浅草側(横井、熊沢、鈴木、戸田、青山、神林) 制帽について 最近あまり見かけなくなったが、へら釣りの帽子と言えば、幅広のツバが定番でした。 そのルーツは、ポイントの店長(山村 聰)が鉄砲打ちの時に被っていた幅広のツバの帽子を、釣りをする時に常に被っていた。 後に、「銀座へらぶな会」を発会した時、山村の発案で赤帽を制帽と決めた。これがおそらく元祖と思われます。 それを見た「浅草へらぶな会」の面々が大変面白がって、黄色い幅広のツバの帽子を制帽として採用する事となった。 その後、へら鮒釣りの帽子は、幅広のツバの帽子が流行して行った。 |
成績集成 1954年 昭和29年度 |
残念ながら昭和29年は資料が現存せず成績は不明。 第五回 日研団体トーナメント優勝。 竹野 紫泡 6月、7月、8月と、3ヶ月連続優勝。 東の大関 金成 幸一。 |
成績集成 1953年 昭和28年度 |
残念ながら昭和28年は資料が現存せず成績は不明。 名古屋佐屋川にて浪花釣友会、中部釣魚連盟、日本へら研の対抗釣会開催。 叶九隻、青山文夫、本田亀六の3名も参加。 東の大関 星野 光男。 |
成績集成 1952年 昭和27年度 |
残念ながら昭和27年は資料が現存せず成績は不明。 東の大関 星野 光男。 第三回 日研団体トーナメント優勝。 浅草 二組。 叶 九隻、星野 光男、三島 一剛、田中 実、椿 魚舟。 |
この年の歴史を語る写真を紹介します |
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日研団体トーナメント決勝戦、場所は、今は無きバナナ! ※コメントには、昭和26年とあるが、昭和26年度は竿を出さずに引き分けた為、この写真は昭和27年度の決勝時の可能性がある。 ※また、対戦相手は、昭和27年度の決勝戦で対戦した「森清・・」とある。 |
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「バナナ」について 水郷大橋を渡って、右側に横利根川、左に、西代(にっちろ)の江湖をはじめ、バナナ、小バナナなどがあり、一面が水郷地帯でした。 ※この辺りがまだ霞ヶ浦だった頃の地図を基に、推測しました。間違っていたらご指摘下さい。 |
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昭和26年 日研団体トーナメント優勝時の1コマ 後列には、当時の日本へら鮒釣研究会の役員達が列席している。 ※コメントには、昭和26年とあるが、下の写真と若干服装が異なるため、昭和27年度の優勝時の可能性がある。 |
成績集成 1951年 昭和26年度 |
残念ながら昭和26年は資料が現存せず成績は不明。 西の大関 星野 光男。 第二回 日研団体トーナメント優勝。 ※決勝戦において、「釣り場変更、前日の釣り座作成、支部員以外の参加」などで揉め、竿は出さずに東横支部と2支部優勝となる。 |
この年の歴史を語る写真を紹介します |
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昭和26年 第二回 日研団体トーナメント優勝時の1コマ トロフィーの左側のリボンに、「第一回優勝 古河へら鮒研究会」の文字が確認できる。 日研の第一回団体戦は前年に、「全関東へら鮒釣団体対抗競技大会」という競技名で行われた。 |
成績集成 1950年 昭和25年度 |
残念ながら昭和25年は資料が現存せず成績は不明。 全関東へら鮒釣団体対抗競技大会 3等。 |
この年の歴史を語る写真を紹介します |
成績集成 1949年 昭和24年度 |
残念ながら昭和24年は資料が現存せず成績は不明。 |
成績集成 1948年 昭和23年度 |
残念ながら昭和23年は資料が現存せず成績は不明。 |
成績集成 1947年 昭和22年度 |
残念ながら昭和22年は資料が現存せず成績は不明。 |
成績集成 1946年 昭和21年度 |
残念ながら昭和21年は資料が現存せず成績は不明。 浅草へら鮒会創立、初代会長 叶 九隻。 初代副会長 青山 文男。 初代幹事長 杉本 敬次朗。 |
成績集成 1945年 昭和20年度 |
残念ながら昭和20年は資料が現存せず成績は不明。 浅草へら鮒会の母体となる、「公潮会」が発会される。 会長は、叶 九隻、幹事長は、青山 文男。 公潮会について 当時を知る人で「公汐会」と記する資料も有る。 当初は、親睦会として淡々とへら鮒釣りを楽しんでいたが、規律を作って目方を競い合う競技式にした方が面白いのではと、叶 九隻が提案し、発会しました。 今に伝わる、釣った魚を目方で競う、「へら鮒会」の元祖的な会。 ※浅草へら鮒会の創立起源は、昭和20年と昭和21年を創立起源とした記録が混在するが、現在は、昭和20年を創立起源としています。 |
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