・昭和31年から平成25年までの成績は、現存の資料を精査し、纏めた。
・左側は年間成績、右側は毎月の例会成績(2月~10月の10回制、但し昭和43~44年は11回の例会が記録されている。1月に例会が開催されたのか?何れかの月に2度の例会があったのかは不明)
・浅草へら鮒会は昭和20年発会の公潮会を母体に昭和21年誕生した。
・残念ながら昭和20年~昭和30年は資料が現存せず成績は不明である。
・昭和49年までは、平成3年発行「浅草へら鮒会 四十五年の歩み」記載の成績を転記した。
・佐原・佐原向地・佐原向地一帯など、例会範囲の表記に差異が見られるが、其のままとしてある。
・昭和36年まで釣果の秤は「匁」、すなわち1匁=3.75グラムであった。
・昭和37年からKgに変わる。
・昭和37年まで点数制を採用していた、但し点数制のシステムは不明。
・記載の他に役員懇親会や納竿懇親会が開かれた年もあるが、釣果記録まで残っていないため除外した。
・欄の中で幾つか空白があるのは、釣果などの記録が残っていない部分である。
・Gはゲスト(便乗)の略、「新懇」は新年懇親会、「初懇」は初釣懇親会、「納懇」は納竿懇親会の略。
・また、平成8年の「追悼」は佐藤紫舟二代目会長の追悼釣会
・本田亀六氏の姓が会員名簿では、「本田」と記載されている為、「本多」から「本田」に訂正した。
|